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東京高等裁判所 昭和57年(ネ)957号 判決 1983年2月28日

昭和五七年(ネ)第九五七号事件控訴人 同年(ネ)第一〇五七号事件被控訴人(第一審原告) 山根智恵子

右訴訟代理人弁護士 村田寿男

昭和五七年(ネ)第九五七号事件被控訴人 同年(ネ)第一〇五七号事件控訴人(第一審被告) 株式会社 初穂

右代表者代表取締役 豊島幹男

右訴訟代理人弁護士 若梅明

主文

一  第一審原告の控訴に基づき原判決を次のとおり変更する。

第一審被告は第一審原告に対し、金五五〇万円及びこれに対する昭和五五年九月九日以降完済まで年六分の割合による金員を支払え。

第一審原告のその余の請求を棄却する。

二  第一審被告の控訴を棄却する。

三  訴訟費用は、第一、二審を通じてこれを八分し、その六を第一審被告の負担とし、その余を第一審原告の負担とする。

四  この判決は、第一項中第一審原告勝訴の部分に限り仮に執行することができる。

事実

第一審原告代理人は、昭和五七年(ネ)第九五七号事件につき、「原判決を次のとおり変更する。第一審被告は第一審原告に対し、金八〇〇万円及びこれに対する昭和五五年七月二日以降完済まで年六分の割合による金員を支払え。訴訟費用は第一、二審とも第一審被告の負担とする。」旨の判決並びに仮執行の宣言を、昭和五七年(ネ)第一〇五七号事件につき控訴棄却の判決をそれぞれ求め、第一審被告代理人は、同年(ネ)第九五七号事件につき控訴棄却の判決を、同年(ネ)第九三〇一号事件につき、「原判決中第一審被告敗訴部分を取り消す。右取消し部分につき第一審原告の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも第一審原告の負担とする。」旨の判決をそれぞれ求めた。

当事者双方の主張及び証拠の提出、援用、認否は、《証拠関係省略》(の)ほかは、原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する。

理由

一  第一審被告が不動産の売買、建築請負等を業とする会社であること、第一審原告と第一審被告との間において、昭和五四年六月二三日別紙物件目録記載の土地、建物(以下「本件土地、建物」という)につき、第一審被告を売主、第一審原告を買主とし、代金一四八〇万円、手付金八〇万円、建物竣工予定日昭和五五年六月末日、売買代金の支払と同時に、第一審被告は第一審原告に本件土地、建物を引き渡し、土地については所有権移転登記手続を、建物については所有権保存登記手続をする旨の売買契約(以下「本件契約」という)が成立し、右契約成立の日に、第一審原告が第一審被告に右約定の手付金八〇万円を支払ったことの各事実は、当事者間に争いがない。

二  第一審被告は、本件契約は、第一審原告が第一審被告の従業員たる地位にあることを前提としてなされたもので、本件契約には、第一審原告が第一審被告の従業員たる地位を失ったときは、本件契約は当然解約されたものとして失効する旨の特約(以下「本件特約」という。)が付されていたところ、第一審原告は、昭和五五年二月二〇日退職により第一審被告の従業員たる地位を失ったので、右特約により本件契約は失効した旨主張するので判断する。

《証拠省略》によると、本件土地、建物は、一棟の建物を多数戸に区画した共同住宅(いわゆるマンション)のうちの一戸とその敷地の共有持分であって、同一棟の他の区画と同時に分譲されたものであるところ、他の区画に比して床面積(坪)当たりの価格が低く、第一審被告としては、本件土地、建物を目玉商品として、特に自社と親密な取引関係にある顧客又は自社の従業員に販売する考えであったこと、第一審被告においては、従来、自社又は自社と同一の資本系列関係にある企業の従業員に対し、第一審被告が分譲しているマンションを特に一般の分譲価格よりも低い価格で売り渡した例があったこと、第一審被告がマンションを分譲する場合において、一般の売買契約では、引渡前に手付金及び中間金を合せて売買代金額の二〇パーセント程度の支払を求めることにしていることの各事実が認められ、以上の事実と、本件契約当時において第一審原告が第一審被告の従業員であったこと、本件契約においては、契約締結時に売買代金額の約五・四パーセントに相当する八〇万円の手付金が授受されたのみで、他に中間金の定めはなかったこと(以上の各事実は当事者間に争いがない)、《証拠省略》及び前記一の争いのない事実によると、本件契約における売買代金額は、第一審被告が本件土地、建物の分譲価格として一般に表示した額から六〇万円を減じた額であると認められることの各事実を総合すると、本件契約は、第一審原告が第一審被告の従業員の地位にあることから、従業員に対する優遇措置の趣旨で、一般の顧客と異った第一審原告にとって有利な契約内容が定められたものと推認することができる。

しかしながら、本件契約が、第一審原告が第一審被告の従業員であることを前提とし、従業員に対する優遇措置として第一審原告に有利な条件をもって締結されたからといって、直ちに、第一審原告が第一審被告の従業員たる地位を失ったときは当然に本件契約が解約される趣旨で締結されたものと解することはできないし、前認定に係る各事実をもってしても、本件契約締結の際に当事者間において本件特約が合意されたとの事実を推認することは困難である。

《証拠省略》中には、第一審原告が第一審被告の従業員たる地位を失ったため、第一審原告に本件土地、建物を売り渡す条件が無くなったので売買契約を解除した旨の供述があるが、同証人が本件契約の締結に関与していないことは、同証人の証言によって明らかなところであるし、右供述が、本件契約において、当事者間の合意として、本件特約が成立した趣旨であるか否かも明確でないから、右証言をもって本件特約成立の事実を認めることはできない。また、《証拠省略》中には、第一審被告において自社又は自社と同一資本系列関係にある企業の従業員にマンションを売り渡す際には、売渡しを受けた従業員が停年前に自己の都合により退職したときは、売買代金の支払いが完了した後であっても売買契約を解除して売渡しを受けた物件を第一審被告に返還する旨の特約を付する取扱いをしている旨、及び同証人も右特約を付した上で第一審被告からマンションを買い受けた旨の供述があるが、このような特約は、売渡しを受けた者が売買代金の支払を完了した後においても停年までの長期間にわたって拘束を受けるという、極めて重大な権利関係を定める合意であるにもかかわらず、右合意が第一審被告と被売渡人との間における契約書等の文書によって明確にされていない(契約書上に何ら右特約の記載のないことは、《証拠省略》によって明らかである。)事実に照らし、前示供述は容易に措信できないというのほかはなく、その他、本件に現れた全証拠を検討しても、本件特約の成立を認めるに足りる証拠はない。

よって、本件特約の存在を前提とする契約解除の主張は、その余の点について判断するまでもなく採用できない。

三  第一審被告の主張2(手付金の倍額償還による契約解除)については、第一審被告において、第一審原告が売買代金の残金を第一審被告に堤供したことが当事者間に争いがない昭和五五年六月三〇日より前に、手付金の倍額に相当する金員を第一審原告に提供したとの事実を認めるに足りる証拠は何ら見当たらないから、その余の点について審究するまでもなく、右主張はこれを採用することができない。

四  第一審被告は、本件売買契約に基づき、本件土地、建物の所有権を第一審原告に移転すべき義務を負っていたところ、第一審被告が昭和五五年五月三〇日本件土地、建物を訴外株式会社三武に代金一九五〇万円をもって売り渡し、同訴外会社は同日更にこれを訴外長谷川浩通に転売し、同年七月一日に同訴外人を権利者として、本件建物については所有権保存登記、本件土地については所有権移転登記がそれぞれ経由されたことは当事者間に争いがないところであり、右によって、第一審被告の第一審原告に対する本件売買契約上の前記義務の履行は第一審被告の責めに帰すべき事由によって不能に帰し、第一審原告は、本件土地、建物の所有権を取得し得ない結果を生じたものということができる。

五  よって、第一審原告の被った損害額について検討する。

第一審被告が本件土地、建物を昭和五五年五月三〇日訴外株式会社三武に対し代金一九五〇万円で売り渡した事実が当事者間に争いがないこと前示のとおりであるから、第一審原告が本件売買契約の履行によって取得し得べき本件土地、建物の履行不能時における時価は、特段の事情のない限り、右売買代金相当額を下らないものと認めるのが相当である。

訴外株式会社三武が、同日本件土地、建物を、訴外長谷川浩通に対し、代金二三三〇万円で売り渡した事実は当事者間に争いがないところ、第一審原告は右事実に基づき、履行不能を生じた当時における本件土地、建物の時価は、訴外長谷川浩通に対する売却価額である二三三〇万円である旨主張する。しかし、不動産の売買契約における価額は、売主、買主双方における具体的事情、契約成立に至る交渉の経過等によって決定されるのであって、必ずしも客観的に評価されるべき時価により行われるものではないことは経験則上明らかなところであり、《証拠省略》によると、訴外株式会社三武は、マンションの販売につき、地方在住の医師など独特の販売先を開拓し、強力な販売組織をもって販売していたことが認められるので、同訴外会社以外の者が本件土地、建物を売却処分した場合に、訴外長谷川浩通と同程度に有利な処分先を見付けることができたはずであるとは必ずしも断定し得ないものがある。そして、第一審被告が特に本件土地、建物を時価よりも著しく低い価額をもって売却すべき事情にあったとの特段の事情も認められないから、訴外株式会社三武と訴外長谷川浩通間の前記売買価額をもって、直ちに、本件土地、建物の時価と断ずることは相当でないものというのほかなく、他に右代金額をもって、本件土地、建物の時価と認めるに足りる証拠はない。

もっとも、第一審被告と訴外株式会社三武間の売買は、いわゆる業者間の売買であるところから、時価より低い価額で売買されたものと推認する余地がないではないが、右訴外会社の訴外長谷川浩通に対する転売価額をもって、時価と認め難いこと前判示のとおりであり、他に本件土地、建物の時価を認定するに足りる証拠は見当らないから、第一審原告の損害額算定に当たっては、第一審被告と訴外株式会社三武間の前記売買価額を基準とするのが相当である。以上によれば、第一審被告と訴外株式会社三武間の売買価額である一九五〇万円が第一審被告の責めに帰すべき事由によって生じた履行不能の結果、第一審原告に生じた損害ということができる。

六  第一審被告は、本件売買契約において、損害賠償額の予定がなされている旨主張するが、《証拠省略》によると、本件売買契約につき作成された契約書には、第一四条として「甲(注。売主)乙(注。買主)の何れたるを問わず当事者の一方が本契約の条項に違背したときは、各々其の違約したる相手方に対し、催告の後本契約を解除することができる。」、第一五条第一項として「前条による契約の解除が甲の義務不履行に基づくときは、甲は、既に受領済の金員、並びに違約金として第一条に定める売買代金の壱割に相当する金員を乙に支払うものとする。」との約定が記載されていることが認められるところ、第一審被告が損害賠償額の予定に関する約定として主張する右契約書第一五条第一項の定めは、買主が売主の債務不履行を原因として契約を解除した場合について、原状回復以外に売主の賠償すべき損害の額を定めたものであることは疑いをいれないところである。元来、売買契約から生じた売主の債務がその責めに帰すべき事由により履行不能となったときは、買主は、契約を解除した上、既に支払った代金の返還並びに原状回復によっては償われない損害の賠償を求めることもできれば、契約を解除せず本来の給付に代わる填補賠償を求めることもでき(後者の場合には、買主は残代金の支払義務を免れないが、通常の場合填補賠償額から未払残代金額を相殺により控除して差額の支払を請求することになる。本件は正にこの場合に当たる。)、右のいずれの方法を選択するかは買主の自由であって、この理は、契約解除の場合について損害賠償額の予定がなされていることによって左右されるものではなく、また、右損害賠償額の予定の効力は填補賠償を請求する場合に及ぶものでないことは当然である。したがって、第一審原告において本件契約を解除することなく、本来の給付に代わる填補賠償を請求する本件においては、その賠償額の算定につき右契約書第一五条第一項の約定を適用又は準用する余地はないものというべきである。

なお、第一審原告が現実に支出した金額は八〇万円にすぎないのに、本件契約における第一審原告の未払残代金額と、第一審被告と訴外株式会社三武間の売買代金額との差額は五五〇万円に達し、第一審原告は右差額を労せずして利得する結果になることは第一審被告の主張するとおりであり、本件土地、建物について定められた坪当たりの価格が、他の分譲区画部分のそれに比して低額であったことも前判示のとおりであるが、本件土地、建物について定められた販売価格が一般に表示された価格であったこと、本件契約においては、右価格から更に六〇万円を値引きして契約していることも既に判示したとおりであり、原審における第一審原告本人尋問の結果によると、本件契約後一般にマンションの時価が騰貴する状況にあり、本件土地、建物を含むマンションは立地条件が良く、かつ更地に新築したマンションで、建築前に売買契約が締結されたものであって、このような場合特に騰貴が著しかった事実が認められるところ、以上の各事実を総合すると、前記差額中値引きによる六〇万円を除いた部分のすべてが、第一審原告が第一審被告の従業員たることを理由とする優遇措置によって生じたものと認めることはできず、他に右優遇措置によって生じた利得部分を確定するに足りる証拠は見当たらない。してみると右差額の大部分は本件契約の成立後における本件土地、建物の価額の騰貴によって生じたものと見るのが相当であり、その利得は第一審原告に帰属すべきものであるから、第一審原告の本訴損害賠償請求をもって暴利行為というのは当たらない。

よって、右主張は理由がない。

七  以上のとおりであるから、第一審原告の本訴請求は、前認定に係る一九五〇万円の填補賠償額から第一審原告において支払義務を負っている一四〇〇万円の本件売買残代金額を控除した(第一審原告は未払残代金の控除を自陳しているものと認められる。)、残金五五〇万円と、これに対する本件訴状が送達された日の翌日であることが本件記録上明らかな昭和五五年九月九日以降完済まで年六分の商事法定利率による遅延損害金の支払を求める限度で正当(履行不能による填補賠償債務は、不能の事由が生じたことにより期限の定めのない債務として発生し、催告によって遅滞に陥るものと解すべきところ、本件訴状の送達前に第一審原告において催告をなしたとの主張も、これを認めるに足りる的確な証拠もないので、第一審原告の遅延損害金の請求は、前述の限度でのみ理由がある。)として認容し、その余を失当として棄却すべきである。

八  よって、これと結論を異にする原判決を、第一審原告の控訴に基づいて変更することとし、第一審被告の控訴は理由がないものとして棄却し、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法九六条、八九条、九二条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 近藤浩武 裁判官 川上正俊 渡邉等)

<以下省略>

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